かつてミンクを飼育してたころ~元紋別ミンクの小川農場

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今でもミンクを飼育しているのですか?というご質問をたまにいただくのですが、残念ながら、養殖業はおよそ30年ほど前に廃業しています。
その当時、日本でプラザ合意により急激な円高になったこと、国際貿易品目で真っ先に関税の保護がなくなり、価格競争力がなくなってしまったことにより、北海道をはじめとする全国のミンク生産者の多くが廃業に追い込まれましたという社会情勢がありました。

しかし、先代の横田ミンクからはじまる養殖業の時代があったおかげで、私たちはミンクという素材について多くの貴重なことを学ぶことができました。

どんなミンクが品質が高いのか? ミンクにはどんな種類があるのか?
どんな部位、パーツがあるのか? どんな縫製をすればよいのか?

現在はその経験と知識を生かして、高品質な海外ミンクを材料として用いて、その毛質を生かしたオリジナルな作品作りしています。
こうしたことができるようになったのもこの時代の下積みがあったからこそと言えます。

その当時、元紋別でミンクの飼育をしているころの写真。
どれもピンぼけでわかりくにいですが(汗)、当時の飼育風景とか雰囲気を感じていただければ幸いです。

かつての元紋別のミンクの小川農場。右手の4つ横長の建物が飼育小屋。左手の丸い屋根が作業小屋。昭和52年ころの様子です。長い小屋だと200mぐらいだったでしょうか。最大で5000頭ほど飼育していたようです。毎日の餌と水やり、日課とは言え、年中無休で数千頭のミンクの世話をすることは本当に大変なことです。

青い屋根の小屋の内部はこんな感じです。整然と置くまで、ゲージが並んでいます。手前にホースがありますが、水やりのためのものです。設備が大きくなれば配管で自動で水を出すようになります。子供のころ、じょうろで何度も往復して1頭1頭に水やりをしていたものでした。

ミンクの小川 サファイアミンク飼育の様子。手前のお皿のようなものが水飲みのトレイ。そして籠の上にある黒い物体?が餌です。餌は水産加工場から出る魚の副産物を利用していましたが、その後専用の飼料に切り替えてったようです。餌と環境がミンクの品質にはとっても大切な要素。伝染病によるミンクが大量死などの数々の挫折を経験しながら、当時は少ない情報を集めてトライアンドエラーで日本産のミンク発展に夢をかけていた時代でした。

こちらもミンクの小川の飼育舎の一コマ。サファイアミンクが遠くを見つめています(笑)日本のミンクは、北海道を中心に昭和30年~昭和60年ころまで盛んに飼育されました。新潟でミンクを飼育している最後の生産者さんも一昨年で廃業。日本産のミンクはマーケットから完全に姿を消すことになりました。かつては海外のオークションにも日本産のミンクが出品されたとか。すっかりその事情とか知る人もいなくなってきました。